こんにちは!
カズアカです。
ご飯を食べるとき、ふと思うことがあるんです。
このご飯は、誰かがあの日、泣きたいほど食べたかったご飯なんじゃないかって。
そんなことを考えるようになってから、当たり前の一日の見え方が、少しだけ変わりました。
何気ない朝が、誰かの願いだったかもしれない
朝、目を覚まして、ベッドから起き上がって、床に足をつける。
たったそれだけの動作です。
意識すらしていない、毎日のくり返し。
でも、この地面を「もう一度踏みしめたかった」と願った人が、きっとどこかにいるんです。
そう思うと、なんてことのない朝が、急に特別なものに見えてきます。
歩けること。目が見えること。誰かの声が聞こえること。
ぜんぶ、当たり前じゃなかったんですよね。
それなのに、ありがたみはすぐに忘れる
とはいえ、人間って弱いもので。
そのありがたみを、次の日にはもう忘れてしまうんです。
小さなことで落ち込んで、どうでもいいことで悩んで。
わざわざ苦しいほうばかり選んで、気づいたら一番大切なものを自分で壊していて。
そうやって泣いた日が、僕にもあります。
胸がうずいて、自分で自分を殴るみたいに責めて。
でも「痛い」なんて言えなくて、傷を隠して笑って。
そういう日って、誰にでもあるんじゃないでしょうか。
苦しいときこそ、思い出したいこと
そんなときに、僕が思い出すようにしている言葉があります。
この命は、あの日、誰かがどうしても生きたかった命なんだ。
叶わなかった願いが、今の自分の「普通の一日」なんです。
そう思うと、落ち込んでいる自分も、少しだけ許せる気がしてきます。
もちろん、しんどいものはしんどい。
無理に前を向かなくてもいいと思うんです。
ただ、心のすみっこにこの言葉を置いておくだけで、沈みきらずに済む日があるんですよね。
だから今日も、起きて、ご飯を食べる
大きなことをしなくてもいいんです。
まずは起きる。そして、ご飯を食べる。
それだけで、もう十分すごいこと。
昨日の自分が「今日を生きた」から、今日の自分がここにいる。
それって、けっこうすごいことだと思いませんか。
まとめ
当たり前の一日は、誰かが心から願った一日かもしれません。
でも、ずっと感謝し続けるなんて無理な話です。忘れてしまってもいい。
ただ、苦しくなったときにだけ、そっと思い出してみてください。
この命は、あの日、誰かがどうしても生きたかった命なんです。
だから、今日も起きられた自分を、少しだけほめてあげましょう。
ご飯を食べた。それだけで、今日は合格です。
HAPPY NICE!
