もう会社には行かない

やりがいという名の麻酔──その「充実感」は本物ですか?

内向型カズアカ

私は今まで数多くの転職を繰り返してきました。40代後半で心身とも崩壊し失業を機に自分の生き方と働き方を見つめ直しました。その後、派遣社員となり、50代後半でアトピー悪化と網膜剥離の緊急手術となり強制終了。今後は、自分の価値観(自分軸)を優先して生きていくことを決意しました。

就活で何度も聞いた魔法の言葉

「うちの会社、やりがいあるよ」。就職活動をしていると、
この言葉に何度も出会います。

聞いた瞬間、なんだかワクワクしますよね。

自分が成長できそう、意味のある仕事ができそう。

そんな期待が胸に広がります。

でも、社会人になってしばらく経ったとき、ふと気づくんです。

あのとき聞いた「やりがい」って、何だったんだろう、と。

「やりがい」が隠すもの

やりがいという言葉には、不思議な力があります。給料が相場より低くても、
「でもやりがいがあるから」。

終電まで残業が続いても、「でもやりがいがあるから」。

休日に仕事の連絡が来ても、「でもやりがいがあるから」。

こうして、本来なら「おかしいぞ」と感じるはずの問題が、
やりがいという言葉ひとつで見えなくなってしまうんです。

これは決して大げさな話ではありません。韓国出身の哲学者ハン・ビョンチョルは、
現代社会の働き方についてこう指摘しています。

今の時代、人は上司に無理やり働かされるのではなく、
「好きだから」「成長したいから」という理由で、自分から自分を追い込んでしまうんだと。

つまり、やりがいという感情が、自分で自分を搾取する燃料になってしまうことがあるんです。

麻酔としてのやりがい

やりがいそのものは、すばらしいものです。仕事に意味を感じられることは、
人生を豊かにしてくれます。

問題は、やりがいが「正当な対価を払わないことの言い訳」に使われるときです。

このとき、やりがいは麻酔に変わります。

手術のときに打つ、あの麻酔です。

本当は痛いのに、痛みを感じなくさせる。

本当はおかしいのに、おかしいと思えなくさせる。

それが、麻酔としてのやりがいの正体です。

厄介なのは、麻酔が効いている間は本人が気づけないということ。

「自分は充実している」と本気で思っているから、周りが指摘しても耳に入りません。

本物のやりがいを見分けるために

では、自分のやりがいが本物かどうか、どうやって見分ければいいのでしょうか。

ひとつの方法は、やりがいを取り除いて考えてみることです。

もし「やりがい」を差し引いたとき、その仕事の条件に納得できますか。

給料、労働時間、人間関係、将来性。

やりがいというフィルターを外して見たとき、それでも「この仕事でいい」と
思えるなら、あなたのやりがいは本物です。

でも、やりがいを外した瞬間に「これはちょっと……」と感じるなら、
それは麻酔が切れた痛みかもしれません。

あなたの充実感は、自分の心から湧いてきたものですか。

それとも、誰かに打たれた麻酔ですか。

一度、冷静に確かめてみてください。

 

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